三国志モバイル人物伝

秦松Qin Song

シンショウ

(?〜?)

字は文表。広陵郡の人《張紘伝》。

張昭・張紘・陳端らとともに孫策の謀主となり、上客として遇せられる《討逆・陸績伝》。建安十三年(二〇八)、曹操軍が南下してくると、張昭とともに使者を派遣して曹操を奉迎すべきと主張《呂蒙伝》。これは妻子を顧みて私情を差し挟んだもので、いたく失望させられたと孫権に評された《周瑜伝》。京に滞在した劉備が西方へ帰ることになったとき、秦松は孫権に付き従って張昭・魯粛らとともに彼を見送っている《周瑜伝》。秦松は早くに亡くなった《張紘伝》。

【参照】曹操 / 孫権 / 孫策 / 張紘 / 張昭 / 陳端 / 劉備 / 魯粛 / 京 / 広陵郡 / 上客 / 謀主

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