三国志モバイル人物伝

舒邵Shu Shao

ジョショウ
(ジヨセウ)

(?〜?)
漢阜陵長

字は仲膺。陳留郡の人。舒伯膺の弟、舒燮の父《孫賁伝》。

舒仲応(舒仲應)と同人と思われるものの、官名に食い違いが見られるため項を分けた。

兄舒伯膺の親友が殺害されたので、舒邵が報復した。事件が発覚すると兄弟がかばい合い、自分が死刑になろうとしたが、二人とも赦免された。天下の人々はそれを義挙だとし、美談として語った。舒邵はまた国家のために尽力したいとかねがね思っていた。袁術の時代、舒邵は阜陵の県長になった《孫賁伝》。

【参照】袁術 / 舒燮 / 舒伯膺 / 陳留郡 / 阜陵県 / 県長

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