三国志モバイル人物伝

劉勲Liu Xun

リュウクン
(リウクン)

(?〜191?)
漢京兆虎牙都尉

字は子[王黄]か。故(もと)の虎牙都尉、あるいは虎牙将軍《臧洪・公孫[王贊]伝》。

劉勲と劉子[王黄]とを同人視するのは裴松之の説。『公孫[王贊]伝』注では「故の虎牙都尉」とあるが、それを引く『臧洪伝』注では「故の虎牙将軍」となっている。

初平元年(一九〇)正月の挙兵にあたっては、袁紹らとともに中心人物であった。張楊を帰服させるなど数多くの功績を立てる《公孫[王贊]伝》。のちに使者の任務を授かったが、期限に間に合わなかった。威光を恐れるとともに肉親を懐かしみ、なんとか帰国しようとしたが、袁紹は怒りのあまり劉勲を殺害した《臧洪・公孫[王贊]伝》。

初平二年七月の段階で、韓馥の従事趙浮らは「張楊は袁紹の味方になったばかり」と言っている《袁紹伝》。公孫[王贊]が袁紹による劉勲殺害に言及しているのは同年冬なので《後漢書袁紹伝》、劉勲が殺害されたのはおおよそこの間のことだろう。

【参照】袁紹 / 張楊 / 京兆虎牙都尉(虎牙都尉) / 虎牙将軍

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