三国志モバイル人物伝

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建興三年(二二五)春、蜀の丞相諸葛亮は南中に出征し、雍[カイ]・高定元・朱褒の叛乱を鎮圧したが、雍[カイ]に代わって孟獲が指導者に立った。孟獲は漢民族からも異民族からも信頼を得ていた《諸葛亮伝》。それ以前、越[スイ]太守馬謖は「南中の者どもは険阻さを利用して久しく服従しませんでした。今日、彼らを破っても明日にはまた反くでしょう。用兵の道は心を攻めるのを上策、城を攻めるのを下策とします。公よ、彼らの心を服従させてくだされよ」と諸葛亮に進言していた《馬良伝》。

諸葛亮は公募して孟獲をさらって来させた。彼が引っ立てて来られると、自陣営の内幕を見せてやり、「この軍はいかがかな?」と訊ねた。孟獲は答えた。「お手向かいしたときは、弱点を知らなかったため敗北いたしました。いまご陣営を見せて頂きましたが、もしこの程度なら簡単に勝つことができますよ」。諸葛亮は笑って彼を釈放した。また戦端を開き、七度釈放して七度捕虜にした《諸葛亮伝》。

諸葛亮が孟獲を捕虜にした地は以下の通りである《諸葛亮伝集解》。

  • 一擒於白崖、今趙州定西嶺。
  • 一擒於[登β]〓猪洞、今[登β]川州。
  • 一擒於仏光塞、今浪穹県巡検司東二里。
  • 一擒於治渠山。
  • 一擒於愛甸、今順寧府地。
  • 一擒於怒江辺、今保山県騰越州之間。
  • 一以火攻擒於山谷、即怒江之蟠蛇谷。

いずれも雲南大理府・永昌府の境にあたる。

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