三国志モバイル人物伝

侯成Hou Cheng

コウセイ

(?〜?)

呂布の騎将《呂布伝》。

侯成は食客に命じて馬十五匹を飼育させていたが、食客は馬をすべて連れて沛城へ逃亡し、劉備に身を寄せようとした。侯成は騎兵たちを率いて追いかけ、馬を残らず取りかえした。諸将がそろって祝いに来たので、侯成は(返礼をするため)五・六斛の酒をかもし、十頭あまりの猪を狩った。飲食する前に、猪肉を半分と五斗の酒をたずさえて呂布の御前に参った《呂布伝》。

侯成がひざまづいて「将軍のおかげで逃げた馬を取りかえすことができました。諸将が祝いに来てくれましたので僅かばかりの酒をかもし、猪を狩りました。まずは感謝の気持ちを申しあげます」と挨拶すると、呂布は激怒して言った。「呂布は酒を禁じていたはずなのに貴卿は酒をかもした。諸将と飲み食いして兄弟の契りをむすび、呂布を殺さんと共謀するつもりか?」《呂布伝》

侯成は恐怖におののきながら退出し、かもした酒を捨て、諸将からの贈り物を返還した。それ以来、疑心暗鬼にとらわれるようになった《呂布伝》。

建安三年(一九八)十月、曹操が下[丕β]城を包囲した。三ヶ月もすると、城内の将兵の心はすっかりばらばらになり、侯成は宋憲・魏続とともに陳宮・高順を縛りあげ、配下の兵士をつれて曹操に投降した《呂布伝・後漢書同伝》。

『後漢書』呂布伝では、侯成が酒をかもしたのを曹操の包囲中のこととしているが、誤りだろう。なお『檄呉将校部曲文』では張遼が侯成とともに投降したとある。

【参照】魏続 / 高順 / 宋憲 / 曹操 / 陳宮 / 劉備 / 呂布 / 下[丕β]県 / 沛県 / 騎将

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