三国志モバイル人物伝

左慈Zuo Ci

サジ

(?〜?)

字は元放。廬江郡の人。若いころから神秘性を備えていた。

司空曹操の座中にあったとき、曹操はのんびりと賓客たちの方へ振り返りながら「今日の宴会は大いに盛り上がり、珍味もあらかた揃った。呉の松江の鱸だけが足りんがのう」と言った。左慈は末席にあって「それなら手に入れられまするぞ」と答え、銅盤を借りて水を満たし、竹竿でもって盤の中で釣りをした。すぐに一尾の鱸が食い付き、釣れた。曹操は手を打って大笑いし、出席者はみな驚いた。

曹操が「一尾では出席者全員に行き渡らんな。もっと手に入らぬものかね」と言うので、左慈がまた釣り針に餌を付けて垂らすと、またすぐに釣れた。どちらも体長三尺余り、新鮮で実に立派なものだった。曹操は目前でさばかせると、出席者全員に振る舞った。

曹操がまた「魚はもう手に入った。しかし蜀の生姜がないのが残念じゃのう」と言うと、左慈は「それも手に入れられまする」と言う。曹操は彼が近場で間に合わせるのを懸念して、「吾は先日、人を蜀へやって錦の買い付けに行かせたのじゃが、見かけたら二端買い足すように命令を伝えておいてくれい」と言った。言い付けてからしばらくすると、左慈が生姜を入手して帰ってきたが、同時に曹操の出した使者からの報告を携えてきた。後日、曹操の使者が蜀から帰ってきたとき、錦の買い足しをした経緯について質問したところ、日付も時間もすっかり符合していた。

左慈は補導の術を心得ており、郤倹・甘始らとともに(曹操の)軍吏になっていた。左慈が到来したとき、みな競って彼の補導の術を学び、宦官の厳峻でさえ教えを乞いに行くほどであった。

のちに曹操が近郊までお出ましになった際、随行する士大夫は百人ばかりもあった。左慈は酒一升と干し肉一斤を持参し、自分自身で酌をしてまわると、百官は酔い、満腹せぬ者はなかった。曹操が怪訝に思ってそのからくりを調べさせると、樽の中にあったはずの酒も肉も全部なくなっていた。曹操は不快感を抱き、その席上で左慈を逮捕して殺そうとした。

左慈は後ずさりして壁の中に溶け込み、すうっと姿をくらませてしまった。ある者が市場で見たというので、改めて追跡させたが、市場の人々がみな姿を変えて左慈そっくりになっていて、どれが左慈なのだか見分けが付かなかった。

のちにある人が陽城山の頂で左慈に会ったというので、またも彼を追跡したが、(左慈は羊の姿に化けて)そのまま羊の群の中に紛れ込んだ。曹操は捕まえることができず、その羊の群に向かって「もう殺したりはしないよ。もともと君の術を試したかっただけなんだ」と言った。ふと、一頭の年老いた雄羊が前脚を曲げて二本足で立ち上がり、「どうして突然許す気になったのかね」と言った。(曹操の部下たちが)競うように飛びかかったが、群をなしていた数百頭の羊がみな雄羊に変わり、一斉に前脚を曲げて二本足で立ち上がり、「どうして突然許す気になったのかね」と言った。結局、どれを捕まえたらいいのか分からなかった。

【参照】甘始 / 郤倹 / 厳峻 / 曹操 / 呉 / 松江 / 蜀 / 陽城山 / 廬江郡 / 司空 / 士大夫 / 生薑(生姜) / 蜀錦 / 鱸 / 補導之術

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