三国志モバイル人物伝

姑臧Gu cang

コソウ
(コサウ)

姑臧はもともと匈奴族が築いたもので、南北七里、東西三里、その地形が龍の姿に似ていたので別名「臥龍城」と呼ばれていた。城西に泉が湧き出ていたが、後漢末期の博士である敦煌の侯瑾は「泉が枯れたら二つの高殿が築かれ、霸者が現れるだろう」と言っていた。魏の嘉平年間(二四九〜二五四)、その言葉通り、枯れた泉の上に学舎が建てられ、しばらくして張軌が黄河西岸に霸を唱えた《晋書張軌伝》。

【県令】

【県人】

むじんがPHP学習のためにα運用しているページです。一部表示されない文字があります。ありえないアドレスを入力するとエラーがでます。ブックマークやリンク先としてはおすすめできません。上のナビゲータからhtml版へ移動してください。