陰化 - 3Pedia

陰化Yin Hua

インカ

(?~?)
蜀武陽令

建安二十四年(二一九)、陰化は武陽県令を務めていたが、県の赤水において九日間にわたって黄龍が姿を現し、また甘露が県内に降り注いだ。蜀の人々はそれを劉氏に対する瑞兆だと考えた。そこで陰化は犍為太守李厳・郡丞宋遠とともに「黄龍甘露碑」を立てた《先主伝・隷続》。

陰化は使者として呉の孫権の元へ赴いたが、孫権を満足させられず、のちに鄧芝が代わって使者になったとき、孫権は「丁厷は上辺だけ、陰化は言葉足らずであったが、鄧芝ならば両国を仲睦まじくできる」と評した《鄧芝伝》。

「言葉足らず」の原文は「不尽」。『華陽国志』では「不実」と作る。

諸葛亮は府(役所)を開くと、蔣琬を茂才に推挙したが、蔣琬は固辞して劉邕・陰化・龐延・廖淳に譲ろうとした。諸葛亮はそれを許さなかった《蔣琬伝》。

【参照】諸葛亮 / 蔣琬 / 宋遠 / 孫権 / 丁厷 / 鄧芝 / 龐延 / 李厳 / 劉邕 / 廖化(廖淳) / 犍為郡 / 呉 / 蜀 / 赤水 / 武陽県 / 県令 / 太守 / 茂才 / 甘露 / 黄龍 / 黄龍甘露碑 / 府