トウケン |
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劉璋の将。孟達の将鄧賢と同人かどうかは分からない。 建安十七年(二一二)に劉備が涪城を占拠すると、翌十八年、鄧賢は劉璋の命により劉璝・冷苞・張任・呉懿らとともに涪におもむいて劉備を防いだ。しかし、みな敗退して緜竹に立てこもり、呉懿は劉備に降伏した。緜竹の諸将を監督すべく、劉璋はさらに李厳・費観を派遣したが、二人はともに軍勢をあげて投降した《先主伝・華陽国志》。 その後は、張任らとともに雒城に逃げこみ、劉璋の子劉循を支えて城を守ったとみていいだろう。 【参照】呉壱(呉懿) / 張任 / 鄧賢(孟達の将) / 費観 / 孟達 / 李厳 / 劉璝 / 劉璋 / 劉備 / 冷苞 / 涪県 / 緜竹県 |