テイショ |
(?~193) |
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代郡の人。劉虞の従事《後漢書劉虞伝》。幽州の従事だろうか。 初平四年(一九三)冬、幽州牧劉虞はみずから諸将の軍勢十万人を糾合して公孫瓚を討とうとした。出発を目前にして、程緒が兜を脱いで進みでて言った。「公孫瓚に悪事過失があるとはいえ処罰の名目が定まっておりませぬ。明公はまず訓戒して行いを改めさせようとはせず、領内で軍兵を起こしておられます。国家の利益にはならぬ上、しかも勝敗の見通しも立っていないのです。軍兵を留め、武威を示すに越したことはございますまい。公孫瓚は必ずや悔悟して謝罪するでありましょう。いわゆる戦わずして人を屈服させるというものです。」劉虞は決起直前に士気を阻喪させたとして、程緒を斬首した《後漢書劉虞伝》。 |