劉循 - 3Pedia

劉循Liu Xun

リュウジュン

(?~?)
蜀奉車中郎将

劉璋の長子、劉闡の兄、龐羲の女婿《劉璋伝》。「劉脩」「劉修」とも書かれる《華陽国志》。

祖父の益州牧劉焉は緜竹から雒城へと移って城門を建設したが、「ここは王者の地ではありません」と言う者があったので、孫の劉循をこの地に残して成都へと移っていった《華陽国志》。

葭萌に駐屯していた劉備が叛逆し、建安十八年(二一三)、進軍して雒城を包囲した。このとき劉循は城を固めて一年近くも攻撃を防ぎ続けた《先主伝》。この戦闘では劉備の軍師中郎将龐統が流れ矢に当たって落命している《龐統伝》。しかし翌十九年夏、ついに陥落する《先主伝》。

劉備が蜀を平定したとき、龐羲は左将軍司馬に任じられたが、劉璋の時代、劉循を留めておくようにとの龐羲の進言に従っていたので(?)、劉備は奉車中郎将に任命した《劉璋伝》。

龐羲の進言うんぬんは意味が採りにくい。雒城が陥落したのち、劉璋が劉循を成都に呼び返したということであろうか。

【参照】龐羲 / 龐統 / 劉焉 / 劉璋 / 劉闡 / 劉備 / 葭萌県 / 蜀 / 成都県 / 緜竹県 / 雒県 / 軍師中郎将 / 左将軍 / 司馬 / 奉車中郎将 / 牧