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クラブ『水経注』
- 9 方壺島主 2005/08/31(Wed) 00:21
- 中村様の嬉しい横レスのお礼に、また少し訳しときますね。
釈氏『西域志』に曰く、「阿耨達太山は、其の上に大淵水有り、宮殿・楼観
は甚だ大なり」と。山は、即ち崑崙山なり。『穆天子伝』に曰く、「天子 崑
崙に升り、黄帝の宮を観み、而して豊隆の葬に封ず」と。豊隆は、雷公なり。
黄帝宮は、即ち阿耨達宮なり。其の山 六大水を出だす。山西に大水有り、新
頭河と名づく。郭義恭『広志』に曰く、「甘水は、西域の東に在り、名を新陶
水と曰ふ。山は天竺国の西に在り、水甘し。故に甘水と曰ふ。石塩有り、白き
こと水精の如し。大段なれば則ち破りて之を用ふ」と。康泰の曰く、「安息・
月氏・天竺より伽那調洲に至るまで、皆な此の塩を仰ぐ」と。釈法顕の曰く、
「葱嶺を度(わた)れば、已に北天竺の境に入る。此より嶺に順(そ)ひて西南に
行くこと十五日、其の道 艱阻にして、崖岸は険絶。其の山は惟だ石のみにし
て、壁立すること千仞。之に臨めば目は眩み、進まんと欲すれども則ち足を投
ずるに所無し。下に水有り、新頭河と名づく。昔 人の石を鑿ち道を通じ倚梯
を施す者有り。凡そ度ること七百梯。度り已へなば、懸絙を躡(ふ)みて河を渡
る。河の両岸は、相去ること咸く八十歩。九訳の絶ゆる所、漢の張騫・甘英も
皆な至らざるなり」と。余 諸ゝの史伝を診るに、即ち所謂罽賓の境に、盤石
の隥(さか)有り。道の狭きこと尺余、行く者は騎歩 相持して、絙橋 相引き、
二十許里にして、方に懸度に到る。阻険・危害は、勝げて言ふ可らず。
※文字化け箇所があったらごめんなさい。
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