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クラブ『水経注』
- 6 方壺島主 2005/08/18(Thu) 18:19
- 書き下しまでの拙訳でお目汚しをにしております。
以前にも申しましたが、水経注はやはり地図情報とセットではじめて有用な
ものになるものです。また澣典などの「1字検索」の可能なDBも必須ですね。
膨大な地名と引用は、やはりDBによる検索がないと全然使い物になりません。
蔵書の『水経注校釈』は横排繁体字で、固有名詞に傍線がないため、玄人向き
です。「注疏」は善いもののようですが、確かに値段が。
屈して其の東より南流し、渤海に入る。
『山海経』に曰く、「南は即ち従極の淵なり。一に中極の淵と曰ふ。深
さ三百仞。惟れ馮夷 焉に都す。〈『括地図』に曰く、「馮夷は恒に雲車に
乗り二龍に駕す」と〉河水 又た陽紆・陵門の山より出でゝ、馮逸の山に注
ぐ」と。『穆天子伝』に曰く、「天子 西征し、陽紆の山に至る。河伯・馮
夷の都居する所、是れ惟れ河宗氏。天子 乃ち珪璧を沈めて焉に礼す。河伯
乃ち天子と図を披(ひら)き典を視、以て天子の宝器なる玉果・璇珠・燭銀・
金膏等の物を観る。〈皆な『河図』の載する所、河伯 以て礼す〉穆王 図を
視、方に乃ち導きて以て西邁せり」と。粤に伏羲在り、『龍馬図』を河より
受く。八卦 是なり。故に『命歴序』に曰く、「『河図』は、帝王の階。江
河・山川・州界の分野を図載す」と。後ち堯 河に壇し、『龍図』を受け、
『握河記』を作る。虞舜・夏・商に逮ぶまで、咸く亦た焉を受く。李尤の
『盟津銘』に、「洋洋たる河水、海に朝宗す。径は中州よりし、『龍図』の
在る所」と。『淮南子』に曰く、「昔 禹は洪水を治めんとして、具に(一説
に「身(みづか)ら」)陽紆に祷る」は、蓋し此に于てなり。高誘の陽紆を秦
薮と以為(おも)ひしは、非なり。
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