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クラブ『水経注』
- 1 方壺島主 2005/02/07(Mon) 23:16
- 崑崙の墟は西北に在り、
三成して崑崙の丘と為す。『崑崙説』に曰く、「崑崙の山は三級。下を樊桐と曰ひ、
一に板桐と名づく。二を玄圃と曰ひ、一に閬風と名づく。上を層城と曰ひ、一に天庭
と名づく。是れ太帝の居たり」と。
嵩高を去ること五万里、地の中なり。
『禹本紀』も此れと同じ。高誘の称すらく、「河は崑山より出でゝ、地中を伏流す
ること万三千里、禹 導きて之を通じ、積石山より出だす」と。『海山経』を按ずる
に、崑崙より積石に至ること千七百四十里と。積石より隴西郡に出でゝ洛に至ること、
『地志』に準れば五千余里可(ばか)り。又た『穆天子伝』を按ずるに、「天子 崑山
より宗周に入り、乃ち西土の数を里するに、宗周の瀍水より以西、河宗の邦・陽紆
の山に至ること、三千有四百里、陽紆より西して河首に至ること四千里」と。合せ
て七千四百里。『外国図』に又た云はく、「大晋国より正西七万里にして、崑崙の
墟を得。諸仙 之に居る」と。数説 同じからず。道は阻にして且つ長く、経記は緜
褫にして、水陸 路殊(ことな)れば、径も復た同じからず。浅見・末聞にして、詳究
する所に非らざるも、聊か聞見を述べ、以て差違を誌さゞる能はざるなり。
其の高さは万一千里。
『海山経』に称すらく、「方八百里、高さ万仞」と。郭景純は以て「上より二千
五百余里」と為す。『淮南子』に称すらく、「高さは万一千里百一十四歩三尺六寸」
と。
……とりあえずここまで。
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