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テスト・落書き
4  むじん  2004/07/28(Wed) 18:59
世祖光武帝。

姓を劉、諱を秀、字を文叔という。
南陽蔡陽の人で、高祖から九代目の子孫にあたる。
その出自は―――。
景帝の子長沙定王劉発が舂陵節侯劉買を生み、
劉買が鬱林太守劉外を生み、
劉外が鉅鹿都尉劉回を生み、
劉回が南頓令劉欽を生み、
その劉欽が光武を生んだのである。

光武は九歳のとき父を失い、叔父劉良に養育された。
身長七尺三寸、鬚や眉はうるわしく、口は大きく、隆準、日角であった。
隆準とは鼻頭の高きこと、日角とは額の骨が太陽のごとく隆起せるをいう。

家業に打ち込むのが好きな質であったが、
兄の劉伯升は遊侠を好み、食客を養い、
つねづね野良仕事に就く光武を高祖の兄劉仲のようだと馬鹿にして笑っていた。

王莽の天鳳年間。
光武は長安へ赴いて『尚書』を学び、意義をおおまかに理解した。

王莽政権の末期、天下は連年のごと蝗や盗賊の蜂起に悩まされていたが、
地皇三年、南陽にもやはり飢饉が訪れた。
諸家の例に漏れず、彼の家の食客も盗賊に身を落としたため、
光武は新野へと役人の追及を逃れた。

食糧を売りに宛へ行ったとき、
その県の人李通らは図讖<予言書>を光武に告げる。

「劉氏が復び起ち、李氏が輔と為る」

光武は初めのうち信じようとはしなかったが、
兄伯升が日ごろ侠客どもと交わっていたこと、
また王莽の支配も崩壊し、天下に擾乱が訪れようとしていることを思い、
ついに李通らと計画を定めて兵士、弓弩を買いそろえ、
十月、李通、李轍らとともに宛で挙兵した。
時に二十八歳であった。
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