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翻訳・校訂
288  方壺島主  2004/12/13(Mon) 22:38
襄楷の上疏は列伝20下の襄楷伝に見えます。ほぼ同じ。
「案ずるに」は「愚臣が思いますには」の意
「古への帝王より未だ河の清(す)むこと有らざるなり。清は陽に属し、濁は陰
に属す。当に濁るべくして反つて清むものは陰の陽と為らんと欲すればなり。
豈に諸侯に京都を規(はか)る計有らんや」(五行志三)と訓ずれば意は通じるで
しょう。襄楷伝には「河の当に濁るべくして反つて清むものは、陰の陽と為ら
んと欲(するものに)して、諸侯の帝と為らんと欲すればなり」とあります。

「漢・隋の二志に又た皆な其の事応を著し、其の説は楷より之を発す。又た京
房の易伝に、『河水の清(す)めば、天下 平かなり』(後漢書・襄楷伝)と。故
に鮑照・張暢に皆な河清頌有り(鮑照『河清頌』については宋書・宗室伝・劉
義慶の条を参照)。後斉には此を以て紀元するに至り(「河清」は北斉の世祖・
武成帝の元号)、而して近世中外に賀を表するは、蓋し以て逢ふ可らざるの嘉
瑞と為せばなり。孔毅父 祥瑞の憑る可らざるを論じて、『代宗の河清みて陜
に幸きし事を引きて、以て之を証要す。河清は本より祥瑞の事に非らず、往時
に会要を編みし者、部居を分別し、乃ち休證門中に列□すれば、豈に偶未の思
ならんや。独り襄楷のみ咎証を推原するは固に善し。但だ其の猶ほ易伝の説に
惑ひ、春秋の麟を書くを以て比と為すを恨む』と云ふ。又た漢以来 河清めど
も、史の事応を著さゞるもの、皆な之を推言す可きなり」と解するのかな。孔
毅父以下の部分は難解。
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