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翻訳・校訂
213  IMAGINE  2004/07/28(Wed) 10:55
213 名前: two_yossy 投稿日: 2004/05/27(木) 21:34 [ rJjwsy.k ]

庵主
  お題の答え
 (1) 下意難問
  注に「意を下(くだ)すは猶ほ意を出だすがごときなり」とあり、中華書局本の校
  勘記には、「按ずるに、『校補』に意を下すは猶ほ意を出だすがごとしと謂ふ者
  は、別に己が意を出だして、諸兄と論難するを謂ふ」とあります。また吉川訓注
  では、「思いきって質問する」と解説しています。「意を下す」は「勇気を出す」
  (李注)意と、「自分の発意を提示する」(校勘記)の意の二説があるようです。
  「難問」は現代語の「難しい問題」の意ではなく、難には「詰」の意があって、
  難も問も「問う」の意でしょう。ただ「詰」と通ずるとなると、ただ質問したと
  いうより、「納得がゆくまで執拗に尋ねた」というニュアンスが強いと思います。
   儒林伝下・魏応伝に、「応をして難問を専掌せしむ」とありますが、それは魏
  応が「難しい問題を一手に引き受けた」わけではなく、御前論争でのテーマを決
  めたという意味です。
 (2) 史書
  注に「『史書』は、周の宣王の太史籀の作りし所の大篆十五篇なり。『前書』に
  『学童を教ふるの書』と曰ふなり」とあり、吉川訓注では「幼童の識字の書物」
  と解説しています。しかし『漢書』元帝紀賛に、「元帝は材芸多く、史書を善く
  す」とあり、顔注に応劭の説を引いて、「周の宣王の太史・史籀の作りし所の大
  篆なり」と見えますから、固有名詞としての書名ではなく、「篆書が巧みだった」
  の意に解することができます(事実、中華書局本『漢書』でも波傍線なし)。六歳
  で児童書に通じていたのか、書道にすぐれていたのかは微妙なところと言うほか
  はありません。
 (3) 周宣夢書
  これは占夢の書の書名(固有名詞)として解してよいと思います。『新唐書』芸文
  志三/丙部子録/五行類に、「周宣占夢書 三巻」と見えます。
 (4) 先見故
  ここは断句を変えるの手かと。「先に故を見るに」で区切ってから、堯と湯の話
  につながるほうが分かりやすいように思います。「故」は「故事」のことで、
  「ふるき」とか「こと」などと訓じるべきでしょう。
 (5) 相者待詔
  吉川訓注によると、「相者の待詔相工 蘇大 曰く、此れは成湯の骨法なりと」と
  訓じられています。「待詔相工」はどうやら「待詔(詔を待する)の相工」の意で
  天子の諮問に応ずる人相見と解するようです(吉川訓注)。
  『史記』張丞相列伝の韋賢の附伝に、「男四人有り、相工をして之を相(み)しむ
  るに、第二子に至り、其の名は玄成。相工の曰く、『此の子 貴し、当に封ぜら
  るべし』と」とあります。
 とりあえずこんなところ。皇后紀は少し読んでみたんですけど、儒林伝とは比べ
 ものにならないくらい難解な字句があって、ちょっと驚いています。
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